

岩倉城跡
戦国時代、織田信長が清洲城主であった頃、信長と対立を深めていた織田信安・信賢父子が城主であった岩倉城の跡。尾張では清洲城と並んで最も重要な城であり、信長は、永禄元年(1558年)の浮野合戦で岩倉城を落城させ、尾張の統一を果たした。山内一豊の父、盛豊は城と運命を共にしたが、当時15歳であった一豊は難を逃れた。城跡は東西約91m、南北約171mの台地上にあり、内外二重堀があったといわれ、城跡の南側には外堀や丸の内といった地名も残る。本丸跡の「織田伊勢守城址」の碑は、安政7年(1860年)に建てられたもの。
住所 | 愛知県岩倉市下本町城址121 |
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お問い合わせ | 岩倉市役所教育こども未来部生涯学習課生涯学習グループ 0587-38-5819 |
関連ホームページ | https://www.city.iwakura.aichi.jp/0000000322.html |
アクセス | JR「名古屋駅」から名鉄犬山線「岩倉駅」~徒歩10分 |
※掲載情報は2022年12月21日現在のものです。内容が変更になる場合もありますので、あらかじめご了承ください。
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