野田城跡
奥三河地域で勢力を伸ばした三河菅沼氏一族の菅沼定則が、永正13年(1516年)に築城したとされる。城主は、はじめ今川方に属したが、桶狭間の戦いで義元が戦死した後に徳川方についた。その後長きにわたり戦地となり、永禄4年(1561年)に義元の子、氏真(うじざね)により落城。元亀4年(1573年)の「野田の戦い」の際、武田信玄を撃ったとされる火縄銃は、「信玄砲」として市の文化財に指定され、設楽原歴史資料館に展示されている。城がある丘陵地は、かつては東側を桑淵、西側を龍淵により挟まれた天然の要害で、北側には東西に伊那街道が通り、北上すると長篠城、南下すると吉田城に至る要衝に位置した。曲輪、土塁、井戸などの跡が残る。市指定史跡。
住所 | 愛知県新城市豊島字本城 |
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お問い合わせ | 新城市教育部生涯共育課設楽原歴史資料館 shitara@city.shinshiro.lg.jp 0536-22-0673 |
関連ホームページ | https://www.city.shinshiro.lg.jp/kanko/meisyo/nodajyoato.html |
アクセス | 飯田線「野田城駅」から徒歩20分 |
※掲載情報は2020年8月12日現在のものです。内容が変更になる場合もありますので、あらかじめご了承ください。
提供:設楽原歴史資料館
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