此隅山城跡
室町時代、但馬の守護、山名時義が標高140mの此隅山に築いた山城。「応仁の乱」では山名宗全(持豊)が本拠とし、2万6000騎の軍勢が集まったと伝えられる。のちに羽柴秀吉に攻められ落城し、山名氏は有子山城に移った。有子山城とともに「山名氏城跡」として、国の史跡に指定されている。山麓には、宗鏡寺、大手門、御屋敷などの地名が残り、かつて城下町であったことの名残をとどめている。
住所 | 兵庫県豊岡市出石町宮内 |
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お問い合わせ | 但馬國出石観光協会 0796-52-4806 |
アクセス | 登城口まで/山陰本線「豊岡駅」からバス「鳥居」~徒歩30分 |
※掲載情報は2020年6月22日現在のものです。内容が変更になる場合もありますので、あらかじめご了承ください。
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